まとも

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宇多田ヒカル「ともだち」の歌詞に込められた意味について~叶わなくとも愛せてよかった

宇多田ヒカルさんが2016年9月28日に、およそ8年ぶりにニューアルバム「Fantome」をリリースしました。当日に買いましたがすごく良かったです!!

 

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その六曲目に収録されている「ともだち」について今回は考察したいと思います。

 


この曲からアルバムの後半部分に入っていきます。

 

さて、「ともだち」というタイトルにどんなイメージを思い浮かべるでしょうか。

学校の友達?幼馴染?思い浮かぶその人は、どんな人でしょうか。

おそらく、同じくらいの歳の同性の人なのではないでしょうか。

もちろん異性(または、それ以外)の友達や、年の離れた友達もいいと思います。

でも、ただひとつ言えるのは、あなたはその人に恋愛感情は抱いていない、ということです。

 

恋愛感情ってそもそもなんだ?とか考えだすとあれなんですが、たぶんあの、経験した人にはわかる、その人のことで心が囚われて、胸が苦しくなるアレです。

経験した人は思い出しながら、そして経験したことない人はイメージしながら、聴いてみたらいいんじゃないかな、と思います。

 

笑顔見れる 距離にいれる

それだけでいい

 

おしゃれで美しいテンポにのせて、歌がはじまっていきます。

あれ、「ともだち」というから友情すばらしい、とか、絆とか、仲間とか、そのような爽やかな曲かと思っていたら、笑顔が見れるほど近しい距離=君と友達関係にあること、それだけでいい…「それだけ」ということは、心の奥底で本当は、それ以上の関係を望んでいるということです。

 

友達なら側にいてもおかしくない

 

この箇所で、 本来は側にいることがおかしいのだ、ということが分かります。

想像してみてください。あなたが恋愛感情を抱いている人の隣にあなたがいるとして、その人と付き合っていたら「おかしくない」ですが、付き合ってもいないのに側にいるのはおかしいですよね。

 

好きだ!付き合いたい!と思っている人と、付き合うことなしに、毎日お弁当を食べたり遊びにいったりする。その時、「おかしいな」と感じて、心がしんどくなったり、変に意識したりしてしまう。でも多分側にいれるなら、そんな「おかしさ」に苦しんでいても、側にいることを選ぶでしょう。なぜなら、好きな人の顔を見る喜びが、その苦しみに勝ってしまうからです。だから「友達」を装ったまま、側にいる。

 

君に触れるあいつ見てる

報われない想いばかりが募る夜更けは

どうしたらいい?

 

「報われない想い」と、はっきり恋愛を示すワードが入ってきました。

 

側にいて、お弁当を食べたり、遊ぶことができても、「友達」ではできないそれ以上のこと…「触れる」ことをしたいな、と思って、でもできなくて、むやみに嫉妬してしまう。

 

あの人にとって自分は「友達の対象」でしかないけれど、あいつはあの人にとって「恋愛対象」である。そんなどうしようもないことにイライラしてしまう。

 

Oh 友達にはなれないな にはなれないな Oh

Oh 何故ならば触りたくて仕方ないから Oh

Oh 友達にはなれないな にはなれないな Oh

もう君の一番じゃないと意味がないから Oh

 

サビです。

 

あの人からしたら、自分は「ただの友達」。でも自分からしたら、あの人は、友達として装っているけれど、本当は「恋愛対象」。

 

だから触りたいし、一番でありたい。

でも自分はその存在になれない。

 

胸の内を明かせたなら いやそれは無理

とても上手に嘘つけるのに 心は馬鹿正直

 

もうこんな思い抱え続けても苦しいから、一筋の希望の光を信じて、告白してみようとも思うけど、「いやいや無理だろ」と笑いつつ立ち止まる。

 

「いやそれは無理」のところの歌い方がちょっと鼻で笑っている感じで、深刻に歌うよりむしろこちらの方がグサッときます。

 

昼、人前で「友達」としてうまくやっているつもりが、夜一人になるとやりきれない感情が自分でも驚くぐらい噴出します。

 

キスしたい ハグとかいらないから

let me have one kiss やっぱり…

 

 キス=恋人と、ハグ=友達と、することだとはっきり分けられていますね。

 

ひとつ、一回だけでもいいから、その二つを隔てる線を超えてみたいと思った時に、「やっぱりこの人のことが好きなんだな」と確信します。

 

Oh 友達にはなれないな にはなれないな Oh

Oh 何故ならば触りたくて仕方ないから Oh

Oh 友達にはなれないな にはなれないな Oh

もう君に嫌われたら生きていけないから Oh

 

 恋人は、一般的に、唯一無二の存在です。

対して友達は、一般的に複数いるのが当たり前です。

 

友達の一人に嫌われたら、悲しいけれど他の友達と仲良くすればいいだけです。

しかし、恋人にしたい君に嫌われたら、もう他がありません。

 

また、自分だけ悲しいならまだいいけれど、想いを告白されたことで相手に「嫌悪」というマイナスな感情を無為に味わってほしくありません。いままで仲良くしていた友達から急に告白されたら、きっと大きなショックを受けるだろうな…と思うと、「もう、今の平穏なままでいいや」というのに落ち着きます。

 

恋愛において、一番イヤなのは、好きな人がイヤな思いをすることです。

そうでなかったらそれは恋愛ではないと思います。

 

恥ずかしい妄想や 見果てぬ夢は

持っていけばいい 墓場に

 

叶わないことを、君と思いが通じ合ったらしたいことを、頭のなかで延々と繰り広げます。それは所詮「妄想」や「夢」ですが、それがないとやっていけない時があります。

 

君にイヤな思いをさせないためには、一生そのまま、自己完結で終わるしかない…というと悲しく聞こえますが、「愛せたこと」、それは究極的には嬉しいことのはずです。

 

 (17/3/6追記)

二番Bメロの「キスしたい ハグとかいらないから…」のところ、「Addicted To You」の「キスより抱きしめて いきなりやめないで」と対比になってるな、なんて思いました。

Addicted To You」の方は相手と恋愛関係にあって、もうキスなんて済ませているような親密な間柄で、この「ともだち」はそうでないというところで、違いが出てくるんだろうな…。

 

キスとハグ、どっちが真に「愛」をあらわす行為なんだろう。

 

 

 

宇多田ヒカル「人魚」の歌詞に込められた意味について~透明な曲調に秘められた色彩

 宇多田ヒカルさんが2016年9月28日に、およそ8年ぶりにニューアルバム「Fantome」をリリースしました。当日に買いましたがすごく良かったです!!

 

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その五曲目に収録されている「人魚」について今回は考察したいと思います。

 

ことしの3月18日から6月18日まで、六本木の森アーツセンターギャラリーで開催される「大エルミタージュ美術館展 オールドマスター 西洋絵画の巨匠たち」のテーマソングとなる曲です。

 

全11曲あるアルバムの前半部分がこの「人魚」でおしまいとなり、真ん中六曲めの「ともだち」にバトンタッチします。

「二時間だけのバカンス」と「ともだち」、インパクトのある両曲のあいだで一旦リラックスできるような、ハープの音色が心地いい一曲です。

 

一年ほど悩んで、理想に追いつかないとあきらめかけた時にブワッと言葉で出てきたから達成感も強く、最も誇らしく思う曲。母の死後、もう音楽を作れないかもしれない、と思ってた時に、ギターを弾いていたらふと出来てしまった曲。実は「花束を君に」のPVで人の姿をして町で暮らしていた女性が突然海へ向かい、飛び込むと本来の人魚の姿に戻るシーンがあるんですけど、それがまるで演出家さんが私をなぐさめてくれているようで、見透かされてるような、あたたかく支えられてるような感覚、そして曲(「花束を君に」)を受け入れてもらえたという感覚に救われて、絵コンテを見た時涙が止まりませんでした。そこから人魚のモチーフを引き継いだ形になります

 

※引用元:宇多田ヒカル、『Fantôme』収録曲「人魚」が「大エルミタージュ美術館展」テーマソングに | Real Sound|リアルサウンド

 

上記は「人魚」について宇多田さんが答えたインタビューになります。

重いか軽いかでいえばだんぜん軽く、ふんわりとした綺麗な曲ですが、宇多田さんにとっては悩んで悩んで悩みぬいた末に舞い降りてきた曲だったのですね。

また、注目すべき点としては、「花束を君に」のPVでの「人の姿をして町で暮らしていた女性が突然海へ向かい、飛び込むと本来の人魚の姿に戻る」シーンから着想を得た、と宇多田さんは言っています。

深読みせずとも、まずはそのシーンだけで美しいですよね。このPVの女性とはまた違った人魚像ですが、アンデルセン童話にも有名な悲しくも美しい「人魚姫」という物語があります。ある事情があって「人魚」と「人」を行き来する人魚の感情の揺れ動きは、とてつもなくはかないものを感じさせます。

 

で、深読みというか、宇多田さん自身がそのシーンについて「まるで演出家さんが私をなぐさめてくれているようで、見透かされてるような、あたたかく支えられてるような感覚、そして曲(「花束を君に」)を受け入れてもらえたという感覚」と語っているので、このPVの「人魚」を自分になぞらえたのかな、と思いました。

「人の姿をして町で暮らす」という部分はまさに【人間活動中の宇多田ヒカルというイメージです。前曲「二時間だけのバカンス」でも「日常」と「非日常」が対比されていましたが、ベールを脱ぎ捨てた「本来の姿」というのは「非日常」にあるものでした。「海=自分の本来の居場所」とまで言ってしまうと行き過ぎなので、「『歌』を生業としてきた自分が今まですみかとしてきた場所」くらいにとどめて言い換えます。

その海へ飛び込むと、人魚の姿=【歌手としての宇多田ヒカル】に変わるんですね。

 

でもそれがなかなか出来なかった。もともとお母さんの驚く顔が見たくって歌をつくりはじめた宇多田ヒカルでしたが、人間活動に入って、お母さんが亡くなって、もといた海にいざ帰ってみようとしてもなかなかそれが出来なかったんですね。でも、「花束を君に」に乗せてつくられたこのPVが助けとなって、やっと自由に「人魚」と「人」、すなわち「歌手としての自分」と「人間らしく日常を生きる自分」を自由に行き来できるようになった。

 

今までのアルバムとこの「Fantome」との一番の違いは、私的にはこの「自由さ」ではないかと思っています。今までは歌手としてファンからは遠い世界に閉じこもっていた宇多田ヒカルが、こちら側にも来てくれるようになった。宇多田ヒカルとしても、母親になり、今まで欲しかった平凡な幸せを手に入れることで、その視点から再び歌手として非日常的に活動する自分を見つめ、「二時間だけのバカンス」のような二面性のある歌も生み出せるようになった。結果、いちばん宇多田ヒカルという人間の要素が出ているのではないかな…なんて思ったりします。

 

このアルバムの奇数番号の曲(「道」「花束を君に」「人魚」「真夏の通り雨」「忘却」「桜流し」)はお母さんに向けての気持ちが入った曲だと私は見ていますが、偶数番号の曲(「俺の彼女」「二時間だけのバカンス」「ともだち」「荒野の狼」「人生最高の日」)は私たちの日常でのさまざまなシーンや多様な形の愛などが宇多田ヒカルテイストで歌われています。つまり、このアルバム自体二面性のあるアルバムであり、それは宇多田ヒカル自身が二つの世界を行き来できるようになったゆえ、ということでしょう。

 

で、このようにPVのほうの「人魚」はまぎれもなく宇多田さんでよいと思いますが、曲のほうの「人魚」はお母さんの要素も入っているでしょうね。「あなたに会えそうな気がしたの」とかなんだかそれっぽくて切ないです。この曲は歌詞を逐一考察するより、全体的なイメージでとらえたいなと思いますが、「まだ…帰れぬ」は、歌手としての自分からまだ帰れないのか、お母さんの姿が見えるこの幻想的な世界からまだ出たくないのか、などなど…。なんだかいろいろ考えてしまいます。

宇多田ヒカル「二時間だけのバカンス」の歌詞に込められた意味について~クローゼットに秘めた想い

 宇多田ヒカルさんが2016年9月28日に、およそ8年ぶりにニューアルバム「Fantome」をリリースしました。当日に買いましたがすごく良かったです!!

 

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その四曲目に収録されている「二時間だけのバカンス  featuring 椎名林檎」について今回は考察したいと思います。

 

アルバムを順番に聴いていくと、「道」でテンションが上がり、からの「俺の彼女」でふむふむと聴きこみ、からの「花束を君に」で癒され、…でこの曲になります。

 

椎名林檎さんとPVでも共演しています。

「バカンス」という名前どおり南国っぽい雰囲気がただよう曲ですが、歌詞の内容はけっこうドロドロ切ないです。

 

宇多田ヒカル「二時間だけのバカンス featuring 椎名林檎」(Supported by Panasonic VIERA 4K UHD TV)【パナソニック公式】 - YouTube

 

いろいろな解釈があると思いますが、PVや歌詞を見る限りでは「奥様どうしの不倫」ととらえられます。

奥様どうし、つまり女どうしです。

不倫というとなんかイケない感じがしてしまうのですが、おたがい節度をわきまえた二時間だけの火遊び…いや、息抜きといったところでしょうか。よくあるケースの「遊びのつもりが一線を越えてしまう」なんてことはなさそうです。

不倫といっても「女どうし」と限定したのはなぜか。まあ、まずはPVの感じですよね。笑 宇宙船でバカンスを愉しむ宇多田さんと椎名さんがソファで木星を眺めながら別れを惜しみ、かなりアブない雰囲気を醸し出しています。

 

でもそれは正直、決め手ではありません。

このアルバムには、二曲目に「俺の彼女」という男女恋愛を扱った曲、四曲目に「二時間だけのバカンス」、そして六曲目に「ともだち」という同性愛者の愛情を切なく歌った曲が収録されています。(「ともだち」については宇多田さん自身が同性愛をテーマにしていると明言されています。)

「ともだち」の方は(男どうしなのか女どうしなのかハッキリ書かれていませんが)歌詞の感じからおそらく「男性の」同性愛者の恋愛感情を歌った曲ではないかなと個人的に思っています。(だけど、本当にどうとでも解釈できるんです!!)

 

とりあえず「ともだち」の方を「男どうしの同性愛の曲」と仮定します。そして「二時間だけのバカンス」は、「ドレス」「ハイヒール」といった言葉や、全体的な歌詞の感じから、「ともだち」と比べると女の人っぽい印象をうけます。(もちろんこれもどうとでも解釈できますが)ここで、PVをヒントに「女どうしの同性愛の曲」じゃないかとこれも仮定してみます。

 

すると、二曲目に「男と女の恋愛

    四曲目に「女と女の恋愛」  

    六曲目に「男と男の恋愛

 

という構図が浮かび上がります。

仮定で成り立った構図ですが、なんだか綺麗な構造になっていませんか?

わたしはこの構図を決め手にして、「これは女どうしの曲ではないか」と解釈しました。

また、さきほど「イケない」「アブない」という表現をしましたが、あれは醸し出されるエロ~い雰囲気に対して使ったもので、もちろん同性愛がアブないというわけではありません。

不倫は、まあ、双方の価値観によりますね…笑

 

クローゼットの奥で眠るドレス

履かれる日を待つハイヒール

 

「ドレス」「ハイヒール」といえば、とっておきの日におめかしするための「非日常」のモノですよね。それは「日常」のあいだ封印しています。これからそれらを身に着けて「バカンス」に向かうんだ、というワクワク感が感じられます。

 

あと、「クローゼット」とは「自分のセクシュアリティ性的指向)をふだん隠しているLGBT」という意味でも使われます。「ドレス・ハイヒール」といったものは、一般的に女性が身につけるものですが、それらをふだん封印しているということは、たんに「非日常」を封印しているだけでなく、みずからの「女性性」を封じ込めていることに他なりません。

ん?女性性をふだんは封印…?じゃあふだんは男性的だということ?

そういうわけではありません。

 

女性同性愛者のかたは、「女性として」女性が好きな方です。つまり、その人の本来の女性性は、「女性が好きな/男性は友達としか思えない」ものなのです。

男性と愛し合って結婚するには、その本来の女性性を封じ込め、その上から「つくりあげた女性性」で蓋をしなければいけないのです。

裏を返せば、同性愛者のかたもさまざまな事情で異性と愛し合わねばならない時、そういう風に蓋をすればなんとかなるケースが多いのです。

 

この「奥様」はおそらくそういった方法で結婚し、子供の世話をしながら日常を贈っているのでしょう。でも、不幸せということはなく、旦那様のことはパートナーとして心から大切に思っているのでしょう。

 

物語の脇役になって大分月日が経つ

 

ここらへんちょっと宇多田ヒカル、ある意味自分のことも織り交ぜてるんじゃないか?と思ったりします。

でも今年の下半期はまた主役級になってましたね(^^)

 

忙しいからこそ たまに

息抜きしましょうよ いっそ派手に

 

いよいよバカンスの始まりですね。

ここからサビです。

 

朝昼晩とがんばる 私たちのエスケープ

思い立ったが吉日 今すぐに連れて行って

二時間だけのバカンス 渚の手前でランデブー

足りないくらいでいいんです

楽しみは少しずつ

 

ついに仮面の女性性を脱ぎ捨て、本来の女性性を身にまとった奥様ふたりが女どうしの逢瀬を遂げます。

PVもここらへん、勢いがあっていい感じです。

ランデブー」というのはフランス語(rendez-vous)で、恋人どうしが時間と場所を決めてデートすることをさすのは周知のことですが、実はもうひとつ意味があります。

「宇宙船どうしの接近・遭遇」です。

これでPVの宇宙船も納得…

 

渚でランデブー…いいですね。

「渚」という場所自体も海と陸とが出会う場所ですから。

 

 

 お伽噺の続きなんて誰も聞きたくない

 

「お伽噺」とはさっきの「物語」とリンクしていて、宇多田ヒカルが一世を風靡していたころのことをさすのでしょう。(今も十分すごいですが、今は落ち着いた感じですもんね!)

みんな「非日常」の話がドキドキするから好きなわけで、王子様と結婚して平和になったあとのシンデレラの話なんて誰も聞きたくない。

宇多田ヒカル自身もそんな「日常」を手に入れたわけですが、やっぱり世間はシンガー、クリエイターとしての「非日常」の宇多田ヒカルにドキドキし、それを求めるわけです。

 

アルバム「ULTRA BLUE」でも、自身の女友達に対する「想い」を込めた歌(『making love』)や、『BLUE』という曲では「女の子に生まれたけど 私のいちばん似合う色はこの色」という箇所があったりしました。が、そういった「性」のテーマがこの「Fantome」ではかなり色濃くあらわれています。

宇多田ヒカル自身も優しい日常を大切にしつつ、まだまだ内に秘めたモノを表現していきたい気持ちがありそうですね。

 

宇多田ヒカル「花束を君に」の歌詞に込められた意味について~神聖な気持ちにさせられる歌

宇多田ヒカルさんがことし9月28日に、およそ8年ぶりにニューアルバム「Fantome」をリリースしました。当日に買いましたがすごく良かったです!!

 

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 その三曲目に収録されている「花束を君に」について今回は考察したいと思います。

 

このアルバムの表題曲といってもよいのではないでしょうか。

NHK連続テレビ小説とと姉ちゃん」の主題歌に使用されており、ことしの紅白でも(イギリスからの中継だそうですが)歌われるそうです。あと、「クリスマスの約束」でも「Automatic」のあとに小田和正さんと歌ってましたね!!良かったなー…

 

この曲は朝ドラのために書き下ろされたものですが、さまざまな人がすでに言及しているように、母・藤圭子さんへむけた曲で間違いないでしょう。

宇多田ヒカルさんの母・藤圭子さんは、2013年8月に東京・西新宿のマンションから飛び降り自殺をしました。

精神的な病に長い間、苦しめられていたといいます。

宇多田ヒカルさんが喪主だったのですが、「遺言書がある」として葬儀は執り行わなかったそうです。独特の主義を持った方だったのでしょう。

 

普段からメイクしない君が薄化粧した朝

 

お母さんへの「手向け」の歌としてこの歌をみると、薄化粧というのはむろん死に化粧のことですね。「朝」というのが神聖な感じがしていいですね。さみしさと祈りが入り混じった思いで死者を送り出す姿が、朝のやわらかい光のイメージとともに想起されます。

 

始まりと終わりの狭間で忘れぬ約束した

 

始まりと終わりの狭間というのは、たぶん、いろいろな意味が込められているのだと思いますが、始まり=生、終わり=死と考えると、「人生」と「人生」の狭間、つまり半ばこの世・半ばあの世のような場所で、ふたりしか知らない固い約束を交わしたのでしょう。

ひとつの人生を終え、つぎの何かに生まれ変わる時の橋渡しとなるその場所は静かで、ふわふわしていて、死んだ者と・それを見送る者だけが居られる神聖な場所なんでしょう。見送った者はその約束をずっと覚えて、自分のこれからの人生でそれを守ろうとするんですね。

 

つぎはサビです。

 

花束を君に贈ろう 愛しい人 愛しい人 

どんな言葉並べても 真実にはならないから

今日は贈ろう 涙色の花束を君に

 

目がさめるほど美しいフレーズですね。

「花束」というと結婚式であったり、おめでたい行事を思い浮かべます。サビのはじめだけ聞くと、そういう歌なのかな?と思います。

しかし、つづきを聞くと、そうでもないことが分かります。

『どんな言葉並べても 真実にはならない』…

この『真実』という言葉、「死者におくる歌」で使われているという点でキーワードになってきそうですね。

「会いたい」「しゃべりたい」「ありがとう」「ごめん」…色々思うことはあるけど、いざ口に出してみると、なんだか違う言葉のような気がするのはなんでだろう?

それは、上にあげたような言葉がすべて生きている人に贈るものだからです。その人が目の前にいて、はじめて意味をもつような言葉だからです。

花束は花束でも、涙色の花束でした。透明な、もしかするとすこし青色が混じったような色でしょうか。

この涙は、さみしさ、そして祈り(あえてこう表現します)両方の感情が含まれているのでしょう。言葉にできない想いは、しばしば涙となってあらわれます。

 

ふー。

そうなんですよ、結構重い歌なんです笑

 

毎日の人知れぬ苦労や淋しみも無く ただ楽しいことばかりだったら

愛なんて知らずに済んだのにな

 

なんかグサッと来ますね。ここからは二番で、朝ドラでは使われていない部分です。

宇多田さんも苦労したもんな、なんてことをぼーっと考えてしまったりもします。

まあ、宇多田さんもお母さんへの愛含め(『道』で『you are every song』とか言っちゃってたしw)、苦労の中で今まで逢ってきた人に色んなカタチの愛を抱いたんでしょう。苦しみが深ければ深いほど、感じる愛も深いものになって、その愛から離れる苦しみも深くなるんでしょうね…

 

言いたいこと 言いたいこと 

きっと山ほどあるけど 

神様しか知らないまま

 

ここで「神様」というフレーズが出てくることからも、現実で会える人に向けての歌でないことは明らかでしょう。また、「きっと山ほどあるけど」は「言いたいことが山ほどある」ということを「きっと」という副詞であいまいなものにしているんですね。

一番のサビとリンクしていて、伝えたい思いはぐちゃぐちゃと山ほど頭の中にあるのに、いざ言葉にしようとすると違う感じがする。たぶん、真に言いたいことは、神様しか言葉にできないんでしょう。

 

両手でも抱えきれない 眩い風景の数々をありがとう

 

Cメロですね。めちゃいい歌い方です。

苦労の中にもあった、キラキラした風景を大切な思い出として覚えているんですね。

 

世界中が雨の日も 君の笑顔が僕の太陽だったよ

今は伝わらなくても 真実には変わりないさ

抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に

 

雨、太陽と聞くと、宇多田ヒカルの15歳でのデビュー作「Automatic」を思い出します。あの曲では「rainy day」からの「sun will shine」でしたね。

世界中が…ものすごく大きな悲しみのイメージですが、「君に会うと全部フッ飛んじゃう」んですね。

「今は伝わらなくても」…せつないですね。

一番の歌詞では「真実にはならない」と歌っていますが、ここでは「真実には変わりない」と歌い上げています。

言葉にできない言いたいことを「今はもう伝わらない」ときちんと自覚したうえで、そんな状況を「でも真実には変わりないんだから」と受け止めていて、愛する人に先立たれた悲しみを断ち切った者の強さが感じられます。

 

「さよなら」というのはたんに死んだ時、ではなく見送る側からの「本当のサヨナラ」で、んーーいろんな解釈があると思いますが、私は前の歌詞から判断して、葬儀をしたときでもなく、先立たれた悲しみを何年もたった後にやっと乗り越えられて、呪縛のようなものからいざ解き放たれる!という時、が、ここでいう「さよなら」ではないかなと考えたりしています。

そこで、お互い解き放たれて、それぞれ別の第一歩を踏み出す時、もうここで本当のお別れなんだと思うと、最後に抱きしめてほしい…みたいな。

 

死者を思う時って、たしかに悲しいんですけど、なんだか神聖な気分にもなります。

それは、話せない存在に話しかけたり触ってみたり、不可能なことを超えることをしていて、しばしこの世から離れているからでしょう。

 

(17/3/6追記)

 Cメロの「両手でも抱えきれない 眩い風景の数々をありがとう」のところ、

「風景」と「ブーケ(花束)」がかかってるのかな…?とか最近思いました。

 

宇多田ヒカル「俺の彼女」の歌詞に込められた意味について~「男女」という性別を超えたい

宇多田ヒカルさんがことし9月28日に、およそ8年ぶりにニューアルバム「Fantome」をリリースしました。当日に買いましたがすごく良かったです!!

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 その二曲目に収録されている「俺の彼女」について今回は考察したいと思います。

 

男女カップルの彼氏・彼女両方の視点から、それぞれの思いが歌われています。

 

俺の彼女はそこそこ美人 愛想もいい…

俺の彼女は趣味や仕事に干渉してこない…

 

この部分は彼氏目線ですね。歌い方も巻き舌を使ったり、ワイルドな感じです。

どうやら彼女はそこそこ美人で、気の利く子で、彼氏の帰りが遅くてもいちいち細かく聞かないタイプのようです。

いい彼女だな~。と思うでしょうか?

 

そんな彼女はしかし、仮面を被っているようです。

 

あなたの隣にいるのは私だけれど私じゃない 

女はつらいよ 面倒と思われたくない

 

本当は愛想も「よくしている」だけだし、帰りが遅いとやっぱり気になってしまいます。だけど、面倒な女だと思われたくないから我慢しているんですね。

歌い方もここでガラッと変わり、高音でせつなく歌い上げます。

ここで「女はつらいよ」というフレーズが使われていますが、同名のドラマから、ふつうは「男はつらいよ」ですよね?寅さんのように「キレイな女の人に惑わされ、振り回される人情味溢れる男」のイメージをこの言葉とともに思い出すんじゃないでしょうか。

たしかに私もそんな男性の気持ちは分かりますが、重要なのは、「男はつらいよ」を使う時、つねに女は客体であるということです。「男を振り回す魅力的な存在」として扱われるだけで、女性側の気持ちが見えてきません。

そこで宇多田ヒカルは、この歌で「男に対する女側の気持ち」を男ー女と交互に配列することで明らかにしながら、「女はつらいよ」というフレーズをスパイスとして挿入しているのです。

 

俺の彼女は済んだ話を蒸し返したりしない 

クールな俺は敢えて聞かない 余計なこと

 

彼氏ももしかしたら彼女の本心が気になっているのかな?とも思いますが、それこそ彼女に面倒だと思われたくないから「敢えて聞かない」んですね。

「クールな俺」というのは多分嘘で、

「俺には夢が無い 望みは現状維持 いつしか飽きるだろう つまらない俺に」

ここが本音ですね。w

彼女でさえそうしないのに、自分の方が「細かいことを聞く」なんて「女々しい」ことできないし、いざ自分のことも正直に話すとなったら、つまんない中身がバレて、彼女に飽きられると不安なのでしょうか。

好きだから幻滅されたくないし、別れたくない。

でも、彼女の方はもっと聞いてほしいし、話し合いたいのでしょう。中身がわかっても、つまんない奴だなんてきっと思わないでしょう。

好きだから幻滅しないし、別れない。

お互い深いところではおなじ気持ちなのに、齟齬が生まれているのがもどかしいです。

「狐と狸の化かし合い」はいつまで続くのでしょうか。

 

今までは片方の立場からの歌でしたが、

 

カラダよりずっと奥に招きたい…

カラダよりもっと奥に触りたい…

 

の部分で、双方の想いが重なり合います。

男女といえばカップルにもなりやすいし、異性だからセックスも一番深いところまで重なり合えます。

でもそんなマジョリティにはマジョリティなりの悩みがあります。

「違う性別で考え方が違うからこそ、分かりあえなくて苦しい」

深く重なり合う身体と比べてみて、なんと自分たちの心の距離の遠いことか。

「性別を超えた愛」とすると、どうしても同性間の愛情を想起してしまいますが、それはきっと男女間の愛があたりまえすぎて「性別を超えた」なんて形容詞をつける必要がないから。

よく考えると、男女という性別の壁を越えて愛し合っているのだから。「性別を超えた愛」というのは男女間の愛にあてはめてしかるべきです。

 

また、セックスするときの構造的な意味合いからカラダよりずっと奥に「招きたい」の方が女性、「触りたい」の方が男性ともとれますが、ここでは身体の関係以外に精神の関係も歌われていると思うので、あまり限定しないで、流動的なイメージを持った方がベターだととらえています。

 

フランス語の部分は、一行目と三行目はそのまま「カラダよりずっと奥に招きたい…」「カラダよりもっと奥に触りたい…」でしょう。

そして二行目と四行目ですが、まったくフランス語はわからないので検索してみると、「私の真実を見つけてくれる人」と「永遠、永遠」だそうです。

 

この二人にとって、お互いが「真実を見つけてくれる人」で「永遠のパートナー」になるかどうかわかりませんが、お互いがそういう存在を求めているのは事実でしょう。

 

ラストの「カラダより…」とフランス語のところはすごく幻想的なメロディーで、前半のかけあいのところと曲調がまったく違い、その対比もクセになる曲です。

宇多田ヒカル「道」の歌詞に込められた意味について~「道」とは人生である

宇多田ヒカルさんがことし9月28日に、およそ8年ぶりにニューアルバム「Fantôme」をリリースしました。

当日に買いましたがすごく良かったです!!

 

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その一曲目に収録されている「」について今回は考察したいと思います。

 

宇多田ヒカルさん自身も出演しているサントリー天然水のCMで流れる曲です。

サントリー天然水『水の山行ってきた 南アルプス』篇 60秒 サントリー CM - YouTube

 

 「道」というタイトル通り歩き出したくなるくらい、テンポが小気味いい曲。

歌詞の内容も前向きで、アルバムの一曲目にぴったりだと思いました。

「道」というのは人生の比喩でしょう。

 

私の心の中にあなたがいる いつ如何なる時も

一人で歩いたつもりの道でも 始まりはあなただった

 

というサビが印象的です。

 

もちろん「あなた」というのは歌い手の宇多田ヒカルにとっては母・藤圭子さんのことでしょう。

そして、これから続く「奇数番号の曲」…例えば「花束を君に」や「真夏の通り雨」、「桜流し」の「君」や「あなた」はすべて藤圭子さんのことを指しているのが歌詞の端々から感じ取れます。

(むろん解釈は自由ですから、わたしたち聴き手はそれぞれの「あなた」に当てはめればよいのですが。)

 

黒い波の向こうに朝の気配がする

悲しい歌もいつか懐かしい歌になる

見えない傷が私の魂彩る

                (分かりやすいよう、下線を引かせていただきました)

 

…一番Aメロはわかりやすく前後で「陰」と「陽」が対比されていますね。

ULTRA BLUE」収録の「This is Love」でも同じような手法が使われています。

「消えない星」というのはお母さんのことでしょうか。ここでの「星」は宇多田ヒカルの人生の希望であり、同じく歌手としての目標という感じです。

 

転んでも起き上がる 迷ったら立ち止まる

 

ここで人生という「道」のイメージが湧きます。苦難でめげてもいつか、それこそ道ばたの雑草のように復活する。迷ったら、突き進むより一旦立ち止まって頭を冷やす。

そして問う あなたなら こんな時どうする

つまり、「あなた」は現実にはもういないということですね。でも答えを聞きたい。

二番の歌詞で「目に見えるものだけを信じてはいけないよ」とありますが、つまり「目に見えるこの現実にいなくとも、心にいるお母さんを信じている」という意味でしょうか。

 

なんで答えを聞きたいのかというと…サビにつながります。

「私の心の中にいつもあなたがいる」からですね。あなたが現実にいなかったとしても、ずっと拠り所にしているということです。

宇多田ヒカルは15歳という若さで「Automatic」でデビュー。それからはずっと「一人で歩いたつもり」でした。二番の「調子に乗ってた時期」ですねw

そんな宇多田ヒカルでなくとも、そういったスタンスの人が多いかもしれません。

でもこの命はもともとどこからきたのかというと、皆ひとしくお母さんのお腹の中からですよね。それが「始まりはあなただった」というフレーズの意味でしょう。

もちろん人生というのは「自分」ひとりが主人公ですし、あくまで自分自身で切り拓くものです。

でも、「ひとり」であっても「孤独」か?といえばそうでもないと思います。

 そして「ひとりで生きてる」か?といえばそれは全く違って、人はさまざまなつながりによってはじめて生きることができます。そうしてその支えによって自分の人生を切り拓いていくのです。

 

そういった宇多田ヒカルの人生観が随所にきらめいています。

色々なことを乗り越えた今だからこそ歌える人生の歌なんでしょう。

 

宇多田ヒカルアルバム感想&考察 「Distance」1/4

 

宇多田ヒカルがかわいい。とくにジャケット裏の宇多田ヒカル

 

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 「First Love」~「Distance」までは宇多田ヒカルの「女のコ感」がものすごく感じられます。その「女のコ」が宇多田ヒカル自身の投影なのか、宇多田ヒカルからみた女のコ像なのかはおいといて。

だから可愛かったりする。年上の人に恋して強がったり、自分の不安定な気持ちをいったん客観視して冷静に分析してみたり。だけど「あいしてほしい」という気持ちはいつも強く持っていて、結局振り回されちゃってる女のコ。

DEEP RIVER」、ULTRA BLUE」あたりから「世間・世界を俯瞰する」要素が強くなってくる彼女。でも、「First Love」~「Distance」までは、カッコよく英語使ったり、その垢ぬけた歌詞から一見大人びてるように見えますが、まだまだ軸は「自分」。

また、「First Love」の大反響を受けてから出されたこのアルバムは、特に「みんなの求めるヒッキー」を宇多田ヒカル自身が求めざるを得なかったのではないかなとも感じられます。

 

1.Wait&See~リスク~

この曲を初めて聴いたとき、「あ、天才だな」と脊髄反射で感じました。

こんな曲調聴いたことない、どこか変なのに、その「変さ」が気持ちいい…そして数々のフレーズが痛快に刻みつけられる。

私はこのアルバムに対して全体的に暗い印象をもっていて、「雨雲がたちこめている夜のイメージ」が半分、もう半分は「白くぼやけて何も見えない、夢か現かわからないイメージ」なのですが(でも君という名の虹がちょっと見えるから、それだけで生きている…みたいな)、この曲はどちらにも該当しないですね。

あんまり「君」の存在が見えてこない。「君への想い」じゃなく、宇多田ヒカル人生哲学(当時)のようなものが強く感じられる歌だと思います。

口ずさみたくなるような小気味いいフレーズで巧みに曲を構成しながら、しっかり言いたいことを言っている。

…というか、「教えたいことを教えている」って感じですかね。この曲から4曲目の「サングラス」まで、弱い曲や優しい曲が続くので、最初にガツンとかましとくよ、私はこんなこと思ってるんだよ、なんか腑に落ちるとこあるでしょ?参考にしてね…て感じのイメージでしょうかw

 

*イントロからのイエーーーーー

何回も何十回も聴いてるのに、ここでいつもワクワクしてしまいます。ラストでシャウトが落ちていくとこ(伝わるかな?)すごいキュンとする。

 

*「廻らないタイヤ」「矛盾屋」「迷わないなんて無理」「愛情向かって左に欠乏」「リスクがあるからこそ」「どこか遠くへ逃げたら逃げたら楽になるのかな、そんなわけないよね、どこにいたって私は私なんだから」

↑頭を空にして聴いてもやっぱり残るフレーズ。PVでもマシンみたいな乗りものが出てきた記憶がありますが、駆けてる感覚がある歌なので、いくつか印象的なフレーズがありつつもぼーっとしてたらすぐ過ぎちゃいます。

一番はキミを引っ張ってあげるほど力有り余ってるよ!みたいな感じなのに、二番になると充電切れて「君」が必要になってくるし、じつは力を欲してるのがいい。「冷たい態度で自分を守ってるつもりなの?」は自分自身にいってるんじゃない?と思えてなりません…

 

hey!hey!からの変貌

「私なんだから~」で終わるか、そのあとにサビを繰り返して終わるかだったら、この曲の良さは半減する気がします。やはり最初のyeah~!という叫びと最後のhey!hey!があるからこそ、この曲はすばらしく、そして独自性をもつ。「キーが高すぎるなら」というのは①heyheyのキーが単純に高いのと、②「私」の勢いが強すぎるなら下げるから、一緒に行こうぜ!(もしくはひとりだと嫌)

…という意味があるんじゃないでしょうか。

悩んでるのは果たして「君」なのか、はたまた自分なのか。そのどちらでもあるのかな?と思わせる、この感じがいいですね。

「大きすぎるブレスレット」はすごい。それまでずっと向こう側にいるふたりの歌だなーと傍観していたら、急に身に着けるアクセサリーが出てきたので、否応なく聴いている私自身にすっぽりはまって通り抜けました。

 

2.Can You Keep A Secret?

かっこいい歌です。そしてかわいくもあります。

特にそれ以外感想が。。。笑 ヒットするやろうなというイメジ。

歌詞というより、歌い方が印象に残りますね。

 

3.DISTANCE

きました!表題曲です。

「Distance」でバラード風の「FINAL DISTANCE」がありますが、あの曲も色んな意味ですばらしいんですが(あっちの方が人気ありそうな感じもある)私はこっち派です。

結構深いことを言っている、泣ける曲ですよね。だからこそ、本来はFINAL DISTANCE」もっと「ゆっくり」すべきなのかもしれない。けれど、あえてカワイイ転がるような伴奏に乗せて歌っているところが、むしろ宇多田ヒカルならではのせつなさが感じられて、いい。

私はこの曲を聴くたび、泣き終わったあとの、切なくもスッキリとしたあの感覚を思い出します。

何か抜けたような、あの気持ち。

「Can You Keep A Secret?」が「君」との激しい『パニック』だとするならば、この曲「DISTANCE」君との暗く、静かな、それでいて前曲よりも不可逆的で深刻な、ある『事件』

そのような印象を受けます。

 

*「無口」「~のに~ない」「途切れないように~~(ここらへん、韻踏んでて心地いいな~、耳)」「してみてもいいよ」「ひとつにはなれない」「やっぱり I wanna be with you now」「We should stay together」

 

耳に残ったフレーズです。「Wait&See」とは曲調がぜんぜん違うけど,これもあまりフレーズを刻み付けるような歌い方してないので、まあこんなかんじです。

英語がよく出てきますが、宇多田ヒカルの発音がとてもメロディーとマッチして美麗なので、もう耳が気持ちいい、曲のみでいうとそれに尽きますね。

 

この曲でかなり確信ですね。

「君(you)」の存在ですよ。

たしかに宇多田ヒカルはすごい。あっ、宇多田ヒカルというか、このアルバムに出てくる「私」はすごい。賢いし、外国語わかるし、そして強い。

…でも、自分一人で生きてたら遭いそうにもない困難に遭うと分かっていて、それでも私は君と一緒にいる《べきだ》って歌っちゃう。1曲目から私にとっての「君」の存在の重さの片鱗はちょいちょい見え隠れしているが、この作品はとくにそれがわかる。

ひとつになろうと水の中でもがくけど、ひとつには、勿論なれないんですよね

ひとつにならなくていいって、最早ミスチルはそう言ってますしね(「掌」だいすこ)

 

「ひとつ」といえば、最近プラトンの「饗宴」をパラ読みしたんですが(後でじっくり読むけどまずはパラ読みせんと精神がもたないときってないですか?笑)、その中でも「私たちは元来男男や男女や…でセットで、その片割れを追い求めてるんだ、それが恋人なんだ」って言ってた人がいました。ディオティマ(またの名をプラトン)はそう思ってないみたいですがw

いや、ロマンチックでいいじゃんね。

やっぱりみんな昔から考え続けてる永遠の謎は、どこかでリンクしてるんですね。